8月のお休み
8月18日(水)19日(木)
は夏休みをとらせていただきます。
よろしくお願いします。
後は月曜&火曜の定休日がお休みです。
ブログページ右上にある<今月のお休み>コーナーをご覧ください。
仲間
昨日は大学時代のゼミ仲間が集ってくれました。
何年経っても一瞬であの時に戻れるのはどうしてなのでしょうか。
何に対しても一生懸命だった若い時代、
同じ空気を吸ったメンバー。
去年、その一人が亡くなりました。
彼女も来ていたかな。
私の月
8月は私の月です。
だって、誕生月だから。
それだけですけど。
でも、よしっと思う。
それだけでした。
感謝
今日も暑かったですね。
私は暑いのはけっこう平気みたいです。
外に出ることが少ないからかなと思っていましたが、
ニュースなどで最近は家の中で熱中症になることも多いと言っていました。
原因は温度と湿度の高さだとか。
だとすると、うちは木造住宅だから助かっているのかも。
木の柱や壁、床、畳、天井が湿気を吸ったり出したりして気化熱で温度も調整してくれてるんですね、きっと。
家に感謝!
夜は2階で就寝しますが、
寝苦しいと思う間もなく、
うちわで扇いでいるうちにいつの間にか意識が薄れ、
気がついたら朝です。
汗はすごくかいているようで、
布団が重たくなっています。
私の身体から湿気をとってくれてるんですね。
布団綿にも感謝!
チャイ工房 その6
今日はまた暑くなりました。熱中症には皆さん気をつけてくださいね!
さて、チャイ工房話は一応最終回です。
日々の生活のうちに、だんだんと自分のやりたいことが見えて来ました。店にはいろいろな人がいろいろな理由で来られます。訪れた方が日常の慌ただしさをしばし忘れ、お茶の時間を楽しみ、また歩き出す為の小休止をしてもらう。自分はその場を整えてお迎えするだけでいいのです!
もちろん、せっかく用意していても、始終お客様が来られるわけではありません。けれどもじっくり腰を落ち着けて待っていられたのは、お茶の仕事だったからだと思います。ゆったりした場を作るには、自分もゆったり気を大きく持つしかないのです。それはインドの人たちの暮らしぶりから学んだことでもあります。彼らは時計の時刻に縛られるのではなく、自然の流れに添って生きているかのように見えました。そこでもチャイは生活に句読点を与え、実際に生きるエネルギーになっていました。
大正で16年、未だに自分もチャイ工房も旅の途中、現在進行形です。
チャイ工房 その5
今朝は小雨で少し気温が下がって嬉しい。
雨音が止むと同時に蝉がジージー言う。
音楽です。
さてチャイ工房話しの続き。
「この店で自分は何ができるのだろう、何がしたいのだろう。」
疑問を抱いたまま仕事を続けました。
肝心のお茶や料理の技術もほとんどないまま、先代から習ったことに自分なりの工夫を付け加えていきました。台湾や香港に出かけたり、日本茶の生産者をたずねたりしてヒントを見つけました。無農薬野菜を作る人から直接いただいたりするようにもなりました。そういう積み重ねから、おいしいものは身体に優しいものであると感じるようになりました。昔から使わせていただいているチャイの葉<ケニア紅茶>もそうでした。素材が確かなものであれば、腕を補っておいしいものができるということに気づき、少し楽になりました。2001年に寺内康文と入籍し、今は二人で運営しています。彼は調理と陶器製作が担当です。手作りの食器にもチャイ工房の味つくりを手伝ってもらっています。
チャイ工房 その4
昨日はお店のケーキやクッキーを作ったり洗濯したり掃除したり布団干したり、ヘナしたり、
普通の<休み>でした、笑。
あ、郵便局行くの忘れてた!
毎日山のようにある用事をこなして行く、
それが当たり前のようになっていますが
これでいいのかしらんとふと思う時もあります。
でも自分なんかよりもっとハードに働いている人なんていくらでもいるし、
昔の日本人なんて、お風呂に入るのもごはんを炊くのも薪で、
洗濯機などなく板でこすってたのだし、
そんなことを思えば、たいしたこともしていないのにねえ。
ではチャイ工房話の続き。
しばらくして、入院前に出会っていたPONPONデザインの北村等さんにお願いし、有志のお客さんたちにも手伝っていただき、共同アパートの一階を改装、
7月1日に新しいチャイ工房ができました。畳はそのまま使い、壁や間仕切りを抜き、ペンキで塗装し、マーブリングを掛けました。看板は友人・諸戸美和子さんが描いてくださいました。ライブや展覧会に使ってくださる方も現れ、先代がいたらさぞ喜ぶだろうと思いました。
たくさんの方が協力してお店を盛り上げてくださいました。嬉しい反面、悩みがありました。それは先代と自分の差でした。先代は日本人の海外旅行が自由になった時代、真っ先にインド・スリランカ・ネパールなどに出かけ、大阪にアジアカルチャーとチャイを広めようとした人で、リーダーシップとカリスマ性を持ち求心力のようなものがありました。私は彼をサポートして来ただけで、正反対の性格です。そのことが大きなプレッシャーになっていました。
チャイ工房 その3
昨日はちょっこし焦げました。
港区ツアー。
まず港区役所まで6年ごとの営業許可の更新に行きました。
以前は大正区役所の保健所でやってもらえたのにシステムが変わっていました。
うちから港区へは甚兵衛渡船場から渡し船に乗って行くのが便利です。
チャリで5分くらいで乗り場に着き、15分程待っていると、係員の方が開門し、
人もチャリも乗り込むと出発です。
水鳥が魚を追って川面すれすれに羽ばたいて通り過ぎました。
河口の風がほおをなで涼むこと数分、もう対岸の港区です。
御礼を告げて降ります。お金は要りません。
そこからまた5分くらい走ると区役所です。
手続きはいつものようにお金を納めるとすぐ終わるかとおもっていたのですが、
設備の不備を指摘され
これでは許可が出せないと言われました。
けっこう改装が必要で頭が痛くなりました。
日々ぎりぎりで営んでいる小さな喫茶店にとっては、
たとえ小さな設備替えでも大きな影響を受けます。
でも、ここで職員の方に文句を申し上げても仕方のないこと、
きっと今までが大目に見てもらっていただけなんでしょう。
この夏は休み返上でがんばらないとなあとかんたろう氏と覚悟を決めました。
頑張る前にかき氷でも食べて帰ろうカアと
天保山までダッシュ!
最近行ったことがなかったので、この道だったかなあとチワげんかしながら、たどりつきました。
20分くらいでしたが、暑かった。
台湾茶とかき氷がいただけるお店に入り、
ゆっくりと工夫茶も楽しんで、旅行気分を満喫、
ああすっとした〜
それにしても小さな店を維持していくことが
本当に大変な時代になりましたね。
しかし、負けませんよ、笑。
ではチャイ工房の話の続きをどうぞ。
大家さんの家の一郭を間借りして店にし、隣接するアパートに住みました。看板猫のチャイも飼い始めました(2009年他界)。屋台も9月までは続けていました。
ところが、秋頃から泥庵が体調を崩し、翌年神戸の震災後にはますます悪くなり、3月に悪性腫瘍が見つかり、4月には手術、リハビリ後5月9日には退院したのですが、容体が急変して、翌日に帰らぬ人となってしまいました。まだ50歳でした。彼はまったくそんなつもりはなく、数時間前までたくさんの友人に電話をして「明日から店を再開する」と伝えていました。また、アパートにも店を広げようと二人で計画を話し合っていました。だから、死後、その夢を実現させるのは自然な流れでした。
チャイ工房 その2
今日も朝から蝉の声、暑くなりそうです。それにしても、あれだけ大きな羽音を出すには相当なエネルギーを使っていると思います。けっこうパワフルですね。
さて連載中の作文を掲載。
ところが、縁が有り結婚した山田泥庵(本名—育宏、「伽奈泥庵」の元店主)と、1990年11月、玉造のアパートの一室で「チャイ工房」をすることになりました。予約制で紅茶教室や食事の提供をしました。また、琵琶湖の葦(よし)を保全する運動に参加したり、泥庵のマーブリング作品の個展を知己のお店でさせていただいたりもしました。
1993年9月、アルバイト先「凡愚」(大正区のおそば屋さん)の真野夫妻の提案で<チャイの屋台>を始めました。蕎麦屋の軒先をお借りし、屋台の骨組みは知人の建築家が作ってくれました。道行く人々の好奇のまなざしにさらされながらチャイを作るのは、初めは勇気がいりましたが、やってみるとけっこう楽しく、交流も広がりました。そのうちに大正区に住みたくなり、1994年5月、現在の住所に引っ越しました。
チャイ工房 その1
今日も暑かった。
昨日はお茶好きの方がチャイ工房で会合を持ってくださいました。
その時に少し話をといわれたので、調子に乗って?作文を書きました。
ちっとも面白くもない文章ですが、チャイ工房って何なんですか?
と思われた方は、お読みください。しばらく連載。
「チャイ工房 旅の途中記」 寺内るみ
高校生の頃、どういうわけかインドという国に憧れて、いつか行こうと心に決めました。大人になって幼稚園教諭になり、24歳の冬休みに初めて彼の地へ行きました。空港についたときの感激と戸惑いは今も忘れません。旅の合間に出くわしたのは、熱くて甘いミルクティー<チャイ>。道ばたの屋台にて、素焼きの赤い器からクイッと飲み干せば、疲れた身体にすーっと染み入った感覚。村はずれの庭付きカフェの木陰にて、多くの見知らぬ人々やリスや小鳥たちとともに一杯いただくと、本心からくつろいだパラダイスのような時間。お茶っておいしいなあとしみじみ感じる貴重な体験でした。けれどもその時はまだ、自分がチャイ屋になるとは思っても見ませんでした。